2012年10月20日土曜日

ビートたけしと小坂歯科について一言


北野武の監督デビュー作
「その男、凶暴につき」という最強にハードボイルドな邦画がある。その圧巻なオープニング。

中学生の群れが公園で浮浪者ボコる→たけしこっそり見てる→うちの一人の中学生帰宅

たけし、中学生の部屋まで乱入する→たけし、中学生をボコる

中学生「僕何もしていない」と言う→たけし「じゃオジサンも何にもしてない」と言う


■ダメなんだけど、いいような気がしてしまった。


で、この小坂歯科。

一回行ったら、こんなはがきが三ヶ月ごとに送られてくる。



YMOのレコードのぱくり。
パクった上に、YMOとかBGMとかカットしているじゃないか。
真ん中あたりのうっすらとした温泉マークは残っているのに、「YMO」とか「BGM」を消しとる。
痕跡をけすという、ある意味歯科らしい作業が入っている。


しかし歯ブラシだからってこの陰気なレコードジャケット使いますか
■これは道義的にもなお悪い。小坂歯科。しかし歯医者としてはありかもね。


このブログを見られたかもと考えながら、治療台に口を開いて横たわる勇気を我に。

2012年9月8日土曜日

戲夢人生


1993年台湾
原題 戯夢人生
英語題 The Puppetmaster

監督 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
脚本 朱天文(チュー・ティエンウェン)、呉念眞(ウー・ニエンジェン)
原作 李天祿(リー・ティエンルー)
出演者 李天祿(リー・ティエンルー)、林強(リン・チャン)、蔡振南(ツァイ・ジェンナン)、楊麗音(ヤン・リーイン)
撮影 李屏賓(リー・ピンビン)

強烈な台湾語で大稲埕 や艋舺を語る




この作品、DVD化されておらず、ヤフオクでVHSを買って見た。なかなか見られない侯孝賢ファンもいるだろうから一助となれば幸いである。

おじいちゃんが語ったことが映像化される。
このおじいちゃん(李天祿)(1910年12月2日-1998年8月13日)ということで、私(1969年生まれ)の祖父母の世代である。


幼い頃は弁髪(辯髪)の時代

この世代は戦争のときは三十過ぎていて、多くは兵隊に取られなかった世代である。私の二人の祖父もそうだった。おじいちゃんが語る物語も、どこか私のおじいちゃんに似ている。子供をたくさん作るがうち、一人くらいは二歳になる前にあっさり亡くなる、など。昔語りをする姿が、もう亡くなってしまった二人の祖父を思い起こさせる。
祖母の亡くなる話もマジックリアリズムのようである。
前半は子役が演じ、誕生から、独り立ちするまで。
後半は林強が演じている。ときどき李天祿本人が出てきて語る。


僕の半生の中でも,いろいろな大事件があった。しかしそれほど巻き込まれたわけではない。昭和天皇崩御。地下鉄サリン事件。二つの大きな地震。同時多発テロ。直接巻き込まれたものはない。

今の台湾しか知らない僕にとっては日本統治があったと言うことすら神話
このおじいちゃんは、結構巻き込まれている。うちの祖父母もそうだったらしいが、詳しく聞かなかった。
戦争が終わって疎開から帰ってきたとき、所持金五銭
このおじいちゃん(李天祿)の主人公は日本統治下の台湾に生まれ、家族のトラブルでの不幸と戦争での辛酸(疎開から帰ってきたら全財産五銭)でマラリアで家族二人を失う。非凡な人生といえるかもしれない。




人形の動きがプロ
布袋戲や芝居のシーンが多く登場するが、本物だけあって、なかなか見応えがある。

父親も人形師、結婚相手も同業の一家だった
言ってみれは人形劇なのだが、NHK教育でやっている人形劇も影響を受けたような節があるが、NHKとは一線を画すもののようだ。同じ演目をやり続けることによる熟練、手の動きの繊細さが違うのではないか。芝居に関しては北京で京劇を見たことがあるが、同じようなものが台湾でもあるのがおもしろい。

戦争中は日本ものを演じる。なぜなら台湾も日本だったからだ。
前作「悲情城市」の出演者も多く重複しており、「悲情城市」の延長戦上の作品になるのかもしれないが、決定的に異なるのは、「悲情城市」が客観的な視点だったことに対し「戲夢人生」は主観の作品である。
李天祿の語ることのみを描いている。
しかし、語ったことと映像化するとこんなに、神話のようになってしまうのかと。

酔っ払いの日本人と乱闘したという。これも神話のようだ。
継母(楊麗音)は徹底的にイヤな奴、として描かれる。
おじいちゃんの昔話を映像化、なのでおじいちゃんが見た以上の隠れた人間性などは、表現されていない。とても優しい弁髪の祖父しかり、継母しかり、酔っ払いの日本人しかり、親切な日本人課長しかり。


次男を一歳でマラリアで亡くす。板を買ってきて棺桶を作る
僕が八十を過ぎて人生を語ったら、どうなんだろうか。それはそれで新世代から見ると、神話なのかもしれない。

ラストで語った台湾人が飛行場に集まる話、語ったあとに映像で示される。これも神話のよう。
日本軍がうち捨てた飛行機を解体して古物商に売る

自分の話をここまで金と労力と才能をつぎ込んで映像化してもらった、このおじいちゃん、できあがりを見てどう思ったのだろうか? 
「ちょっと事実と違うけどうれしいわ」かな?
「なんか、モテた話とかちょっと話、盛りすぎだった」かな?
「生ぬるいわ。ワシの人生もっと強烈やってんけどなあ」か?
自分の人生を忠実に映画化してもらえるなど、滅多にないことなので是非きいてみたい。

また「悲情城市」(1989)「戲夢人生」(1993)「好男好女」(1995)を三本見て、やっと難解で眠りそうなる「好男好女」のことが少し分かった。また「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」(2007)にも布袋戲が少し出てきている。

人形劇や芝居の音響も強烈である。「憂鬱な楽園」や「ミレニアム・マンボ」のハウスやハードコアにも負けていない。「悲情城市」はテーマ音楽がひどかったが、これ以降の作品、そのような失敗はない。強烈な音楽を伴った作品ばかりだ。



コタキナバル

2012年7月、コタキナバル(マレーシア、ボルネオ島)に行ってきた。
台湾と同じように、街にたくさんある中華系の食堂で食事をしたのでアップロード。

日曜の朝の食堂
左は豆のスープ。右は茸のスープ。両方とも甘かった!

怡豊叻沙(yee fung laksa)で 怡豊牛雑。うまい!

怡豊叻沙(yee fung laksa)で 土煲鶏飯。これが一番うまかった

新記肉骨茶でプーアル茶

新記肉骨茶の肉骨茶。日本にはない味だが、慣れてくるとうまい。

暑い国の野良猫は動きが素速い気がする。


2012年9月2日日曜日

懐しい台湾のメロレー

CD, レコードとか本はあまり捨てない方である。
たまたま実家にあった「懐しい台湾のメロレー」。どうも父親が同僚にもらったか自分が行ったかしたようだ。
旅行関係の仕事もしていたので、自分で行って買って帰ってきた可能性もある。




民國五十七年四月二十日出版(1968年4月20日)

三十元(現在のレートだと、750円くらい)

とある。





台湾島を組み合わせたデザインになっとるわけね



日本からの観光客向けのお土産のもののようで、日本語の解説音声も入っている。

怪しげな日本語ではなく、正しい日本語である。さすが、日本語教育がされていた国だけあって。

「メロレー」って書いてあるが、解説音声ではちゃんと「メロディー」って言うているし。
サイズは10インチ6曲入り

四十四年前のレコードだが、おそらく数えるほどしか聴いていないので音は鮮明である。


音楽的には、マンボ風? ラテン風の編曲がなされており、ロック的な要素は一切ない。

ていうか、家には未だにターンテーブル持ってて、これも聴けて好かたよ。


亡くなった父も私の生まれる一年前に買ったレコードが、四十年以上経って、息子が真剣に聴くことになっているとは予想していなかっただろう。

2012年8月8日水曜日

ミレニアム・マンボ


2001年台湾・フランス
原題 千禧曼波
英語題 Millennium Mambo

監督 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
脚本 朱天文(チュー・ティエンウェン)
製作 朱天文(チュー・ティエンウェン)、廖慶松(リャオ・チンソン)、エリック・ユーマン
製作総指揮 黄文英(ホワン・ウェンイン)、ジル・ジマン
出演者 舒淇(スー・チー)
音楽 半野喜弘、林強(リン・チャン)、Fish(フィッシュ)
撮影 李屏賓(リー・ピンビン)




この映画、切りっぱなしの洋服とか、コンクリート打ちっ放しの建築みたいな感覚だ。

一歩間違うと放置された工事現場のようなものになりがちだ。
この作品は、かなり紙一重。ギリギリだろう。


最後に語るが、普通の映画なら当然やっている処理を、放棄しているのである。

しかし、役者のキャラクターとカメラと音楽で乗り切っている。それらの使い方のセンスで押し切ったのだ。

まず出演者が、ヒモ男役に、元ヒモ男の素人。
その恋人に言わずと知れた舒淇(スー・チー)

典型的なヒモ男



そして、気配りのあるヤクザ役に、高捷(ガオ・ジェ)。この人役者だが本当に入れ墨入っているみたい。


この入れ墨、6年前の映画でも同じものを見た


ほとんど屋内撮影で夜遊びのシーンが多いがリアルである。
クラブで突発的に起きるケンカのシーンがすごい。本当にクラブで起きていることをそのまま撮ったような臨場感で、作り物には見えないのである。

クラブで暇に任せてバーテンダーに話しかける



また、ハウス音楽をこれほど、リアルに使った映画は見たことがない。
陶酔といかがわしさが、きっちりと表現されている。

自宅のDJブース


物語は、どうしようもない人たちのどうしようもない話で、息苦しい。ほとんどクラブでケンカしているか、自宅で痴話ゲンカしているかの長回しである。
台湾での野外のシーン は数秒だけ

台北では屋外に一切出ない。夜のクラブと自宅の部屋の中だけで話が成立している。
唯一、日中外に出るのがガオ(高)に車に乗せてもらって高速道路のトンネルを抜けたときだけだ。
しかし、日本(夕張・東京)では、野外がちゃんと描かれている。

外にしか救いがないという象徴?



ニウ・チェンザー。脇役。

最初から最後まで終わりのない、リアルなもめ事が描かれて終わる。


大久保駅前


唯一、夕張では、楽しく遊んでいるのだが、なぜ唐突に、夕張にいる? 女一人でいきなり行くか? なぜあの悋気のヒモ男が一人旅を許した? とつじつまが合っていないが、最後に監督が理由を明かしている。

夕張



DVDのおまけ映像で、野上照代という一癖ありそうなお婆さんが出てきて対談している。長年黒澤明のスタッフだった人らしい。
見た目は太った老人で普通に話しているだけなんだろうが、醸し出す雰囲気が威圧的。
黒澤の「生きる」以降の全作品! 「七人の侍」、「用心棒」「天国と地獄」など全部だ! に関わってきたというオーラだろうか。

かなり印象の強い人

この人が、ホウ監督を少し小僧扱いで、遠慮会釈なく話すのがおもしろい。
ホウ監督もいつになく乗ってしまって、自分の作品のかなり深いところまで、言ってしまっている。
Good Job 照代! 長生きして欲しいものである。

その核心部の一つが
「映画は現実と等しい」と監督自ら言っているところだ。

しかしこの映画は、現実と等しいのか? 冒頭にも書いたように、つじつまが合わなかったりや疑問点がたくさん残る物語だった。
そもそも映画で現実と等しくするのは不可能だ。しかし現実の心象風景とは(かなり)等しい。
と言いたいのかもしれない。

野上に乗せられて、だいぶ語ってます

監督自ら語るには、現在・過去・想像・幻想、の4パートに分かれた脚本で、夕張は、幻想の部分のつもりで撮っていたのだが、撮ったあとやっぱり編集で、現在の話だけにまとめた! んだそうだ。
脚本の意味がない! 筋が訳分からんのも頷ける。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)ひどい無茶するが、結果的に作品として見られるものにまとめしてまう力技に脱帽するしかない。

2012年8月1日水曜日

橄欖樹(かんらんじゅ、オリーブの木)



橄欖樹(かんらんじゅ、オリーブの木)は台湾の歌手齊豫(Chyi Yu)、1979年の発表された曲である。

大ヒットというか、台湾だけでなく中華圏全域(中国、マレーシア、シンガポール)の人も全員知っているような,超有名曲である。
知り合いのこれらの国出身の何人に歌って見せたが,全員知っていた。
しかし日本人で知っている人はごくわずかのようである。

なぜ僕がこの曲を知っているか?

実際に台北の裏山を歩いていてオリーブの木があり、そこで近くにいた,シンガポール人のアラサーの女の子が
「ハイヨー、ハイヨー」と口ずさんで教えてくれたからである。



Youtubeで探してみたら名曲。
曲は、変拍子混じりで、当時のプログレの影響かな。詩が素晴らしすぎる。
流浪。流浪。流浪。
愛執、郷愁、愁訴、慕情、喪失、無情など、移民の多い中華人の歌ではないか。








不要問我從那裡來 我的故鄉在遠方
為什麼流浪 流浪遠方 流浪
為了天空飛翔的小鳥 為了山間輕流的小溪
為了寬闊的草原 流浪遠方 流浪
還有還有 為了夢中的橄欖樹 橄欖樹
不要問我從那裡來 我的故鄉在遠方
為了夢中的橄欖樹

橄欖樹    三毛詞     李泰祥曲




私がどこから来たか聞かないで。私の故郷は遠くにある。
なぜにさすらう、遠くをさすらう、さすらう
空を飛ぶ鳥のため、山を流れるせせらぎのため
広々とした草原のため、遠くをさすらう、さすらう
そしてそして、夢で見たオリーブの樹のため
私がどこから来たか聞かないで。私の故郷は遠くにある。
なんのために流浪、なぜに遠くまで流浪
夢で見たオリーブの樹のため




映画の主題歌でもあるようだが,この映画みたいなー。


※wikipediaによると
「日本語では「橄欖(かんらん)」と呼ばれることもあるが、橄欖は本来オリーブとは全く異なるカンラン科の常緑高木である。」
とある。しかし英語の達者なシンガポール人が「橄欖樹」という札の付いた樹をみて「This is an olive tree. Do you know the olive's song?」と言ったので、中華圏でも同じ誤訳で通じているようである。

2012年7月27日金曜日

台湾のポスター(忠犬ハチ公の映画らしい)


いろいろ突っ込みたくなるポスターだ。
  1. ハチは小八(xiaoba)
  2. 漢字の中のリチャード・ギア
  3. 日本の話のはずなんだが、もう何がなにやら

2012年7月18日水曜日

LOVE

2012年台湾・中国

原題: 
http://www.oaff.jp/program/screening/06.html

出演:
舒淇(スー・チー)
趙薇(ヴィッキー・チャオ)
趙又廷(マーク・チャオ)
阮經天(イーサン・ルアン)
鈕承澤(ニウ・チェンザー))
郭采潔(アンバー・クオ))
陳意涵(アイビー・チェン)
彭于晏(エディー・ポン)



アジア線の機内放送でこの映画を観ることが出来た。
日本語字幕はなかったが、二回目なのでだいたい分かった。

一回目は大阪の第七回アジアン映画祭で観た。



鈕承澤の映画を見る人がこんなに集まるとは感激
映画祭の限定上映と言うことも有り、満席で入りきらない人が出るほどの人気。
一般公開やDVD発売が待たれる

前回書いたビバ!監督人生!!ではではさんざん、いじった鈕承澤、役者として出てくる本人は、ただの出たがりのおっさんに見える。

しかし彼の作る作品ははっきり言って、ダントツにおもしろい。この映画最新作も誰が観ても泣いて笑って楽しめるよく出来た作品だ。


内容はラブコメ。よくあるラブコメと言ってもいい。

出演の中で、まだ新人の部類で、国際的にはまだまだな、彭于晏、趙又廷や郭采潔がよかった。キャスティングがよいバランスだと思う。

もともと、この人は今までのテレビドラマでラブコメを作っていた人だ。「求婚事務所」など日本でも一部で人気が出たが、素人くさい役者、低予算な作り、で唯一脚本のおもしろさで維持していたような作品だった。
その系統の作品を最高のカメラ(李屏賓)と役者で予算をかけて撮ってみたのがこの作品だろう。


個人的な思い込みだが、台湾は動画制作全般のクオリティが高いと思う。旅行に行って、ガイド系の動画などがとてもわかりやすい気がする。テレビを観ても、言葉が分からなくても何をやっているか分かりやすい。

国際政治的に微妙な位置にいることと、もしかして関係があるのかもしれない。
わかりやすく伝えてなんぼ、という国民性があるのかもしれない。
もともと社交的な中華系の他者とのコミュニケーション能力にますます磨きがかかっているのではないか。

北京での撮影で中国と台湾との立場現す部分が出てくるが、政治的に扇動的な表現は一切ない。
たとえば、北京の権威主義的な警察官とか、観光地でがさつな大陸中国団体客とか、大陸から見るとスカした台湾人であるとか、しかし深く知り合えば皆善人という設定。
これは穏やかで、コミュニケーションに長けた台湾にしか作れない映画だと思う。

しかし、この作品予算をかけたと言っても、10億も行かないらしい。彼の制作するのものがいかに付加価値が高いか、思い知らされる。
ただの出たがりのおっさんではない。

日本の企業も侯孝賢にしたようにこの人にもお金を出してあげたらいいと思う。
彼は日本好きでもあることは、ヒシヒシと感じられるので、ものすごくいい作品を作ってくれると思う。

侯孝賢の映画よりかは絶対人気が出る。(侯孝賢は好きだが)

2012年7月10日火曜日

台北カフェ・ストーリー


2010台湾
原題: 第36個故事
監督・脚本: 蕭雅全(シアオ・ヤーチュアン)
製作総指揮: 侯 孝賢(ホウ・シャオシェン)
監督: 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
出演: 桂綸鎂(グイ・ルンメイ)、張翰(チャン・ハン)、林辰唏(リン・チェンシー)



台北がきれいに撮れている。
とくに見逃せないのが、無人となった台北市の風景。
この高速道路に車がないシーンは、軍事訓練で通行止めとなる20分を狙って撮ったらしい。
撮れたシーンは息をのむ美しさ!
DVDの特典映像にこのシーンの撮影のメイキングがあっておもしろかった。
その前準備で、映り込みそうな高架下の車やカップル、浮浪者のおっさんにどいてくれと言い回る映像が収められていて苦労が忍ばれる。



母も長女も次女もの一家の話。この女ばかりの一家は上海から来たらしい。

長女が主人公で見た目はかわいいが、なかなかシビアというか、自立しているというか、かわいげがないというか、ブーたれがちというか、よく言えば、自分の考えをそれぞれしっかり持っていて主張する。

屋台でなにか食べながら



ぶっきらぼうというか気まぐれな次女の役者、この映画でははまり役。
林辰唏(リン・チェンシー)という人。


おしゃれでツンケンしているのがはまり役。cool!


ぶっきらぼうというか気まぐれな次女の役者、この映画でははまり役。



このしっかり者の女性たち、どこにも依存せず距離を置いて自立しようとしている。
台湾弁バリバリの農家のおっさんの軽トラと交通事故を起こしても妥協せず、
日本人の夢見がちな兄ちゃん(中孝介)をすげなくあしらい
団体で押し寄せた大陸の中国人に顔をしかめる。
付き合う男も、長女は元副操縦士というもっさりしたおっさんと、次女はいうことをよく聞くおとなしい男。


自転車のシーンも素晴らしい。nostalgic!




結局カフェを手放し、長女は世界35都市へ旅立ち、次女は新車を買う。


台北の夜景と世界地図を重ね合わせた。beautiful!


台湾映画を観ていて思うのは、女性がしっかり自立しているということだ。

ぱっと見、おしゃれなカフェの映画に見えるが、主体的に生きていく者を描いた容赦ない話だと思った。



ところどころで台北の街角の人々に、いろんなインタビューをして答えさせている。
これも必要なカットだったと思う。映画の登場人物以外にもいろんな生き方があるよ、ということで。


似たようなシーンが「ビバ!監督人生!!」でもあった。

この映画、日本でも単館ロードショーされ始めたらしい。
http://www.taipeicafe.net/
以前台湾版のDVDを買ってきて、何回か観てのレビューであるが、近くに来たら映画館で観てみよう。

2012年7月7日土曜日

春の雪

2005年日本

撮影・ 李屏賓(リー・ピンビン)


 この日本の作品はカメラが台湾の李屏賓(リー・ピンビン)なので観てみた。彼が撮影した作品はハズレがない。


それぞれ一場面を切り取っても画になる
 画はよかったか、普段親しんでいる台湾の作品のラフな感じに比べると、細々きっちり、次から次へと綺麗な画が出てきて、かえって退屈してしまう。きれいなものばかり詰め込めばいいというものではない。


「バリー・リンドン」を思わせる豪華さ
久しぶりに日本の映画。気づくのが、潤沢な資金いうこと。役者も豊富。歴史も文化も豊富。時代考証もきっちりしている。


侯爵役用の人材も豊富だ

 さすがに台湾より人口が5倍ある日本。歴史もある。いろんな面で体力のあるところを見せるのだが、写真を撮るため見返し始めて開始三十分で断念。二回観るのがつらい。


 なぜだか考えるに「和」という結論に至った。強烈な作家性を持つ侯孝賢(ホウ・シャオシェン)や、すべて自分中心でまとめてくる鈕承澤( ニウ・チェンザー)と比べるのもあれだが、文字通り和過ぎるのだ。

チームの和、役者やスタッフやらとの和、スポンサー、代理店との和。和が完璧すぎて、特定の個人の主張が見えなくなってしまっている。
三島由紀夫の原作を見事に再現しているが、原作を絶対に超えられないな、というのはすぐに分かってしまう。誰も和を乱して主張している者が一人も見当たらないので。

及川光博が刈り上げの軍服で出てきて、少し期待したが、出オチ。

鳥肌実。

 監督って自分の我をガンガン出してくるものかと思っていたので、がっかり至極。

かくいう僕もどっぷり日本人で普段慣れ親しんでいる和の域にいて、映画にはそれをぶっ壊して欲しいのだが、この作品には無理なようだった。僕たち日本人の特性が、良くも悪くも色濃い作品か。

 「和を以て貴しとなす」の伝統は今でもなくなっていない。


 日本とは? を追求し続けた三島由紀夫が観たらどう思うのか聞いてみたい。


2012年7月6日金曜日

百年恋歌

百年恋歌

 2005年台湾 

原題 最好的時光 Three Times
監督・ 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
主演・ 舒淇(スー・チー)張震(チャン・チェン)
撮影・ 李屏賓(リー・ピンビン)




驚きの連続の映画である。しかし文字に書いても、キャプチャを載せてもこの映画の驚きは伝わりにくいと思う。
台詞は少ない。演技も、抑え気味。もちろCGも使っていないし、アップが少なく無表情が多いので感情は伝わりにくい。気を抜いていたらどんな話だったか追尾できなくなる。
しかし、この地味なペースにいったん乗ってしまうと引き込まれる。



真夏の白昼、自転車で走る


兵役に行かないと行けない若い男


カメラの動きが独特で驚いた。異様に間合いがゆっくりとしていて、なんだか重さ500Kgのカメラをじりじりと動かしているような鈍重な動き。しかしその構図構図に味があることに気がつくとやみつきになる。何がいい、と言えないところが驚きである。
しかもカメラの前をエキストラの人が普通に横切る。下の一番盛り上がるビリヤード場の再会シーンで、国際的なスター二人が最高に自然なすごい演技をしていると言うのに。仕方なく観る側が自分で二人の様子を想像で補完することを強いられる。

一番いいシーンなのに

関係ないビリヤード客が前をウロウロ

あのスーチーがいつになく可憐だというのによく見えないじゃないか



一部のラスト、盛り上がってどうなるのか!? とテンションが上がりかけた瞬間にスコンと暗転。BGMの甘い曲だけそのまま盛り上がり続ける。このセンスはすごい。皆まで言わず、ここから先は観客に託したのだろう。観客を信頼していると理解した。

このシーンは必見です


このあとの構成にも驚く。三部構成のオムニバスだが、出ている役者はすべて一緒、という変わった構成。
キャプチャで紹介した第1部「恋愛の夢」は共感しやすいいい話。
第2部「自由の夢」は1911年という設定で衣装とセットが見事だが、ちょっと難解。
問題の第3部「青春の夢」が息苦しくてどうしようもなくすっきりしない終わり方。こんな全く違うものを3つまとめて撮ってしまうという侯孝賢(ホウ・シャオシェン)がよく分からないが、なにか意味があると思えてしまう。
 後味の悪い第2部と第3部を何度か観ているうちに少し分かったのが、これは裏切りの話である。仕事をいいわけに女を裏切る。愛欲におぼれて恋人を裏切る。誰でも生きていれば経験するかもしれない話。

 おそらく侯孝賢は、ただ見せるだけのものを作ったのではなく、観る側に物語を投げかけるものを作っているのだろう。しかもスッキリする物語だけではなくて、目を背けたい物語、心の傷に触ってくるような物語も抱き合わせでだ。
 観る側に集中力が要求されるが、人格を子供扱いをしないで一緒に物語に巻き込もうとする侯孝賢の信念に脱帽である。